あるものを、あるまま書く
文章を直していると、決まって出てくる形がある。「Aはある。足りないのはBだ」と、ないものを名指す書き方だ。対比になっているから、書くとひとりでに引き締まって、なんとなく賢く読める。でも、その締まりを作っているのは、たいてい形のほうだ。だから、言うことが薄くても、それらしく書けてしまう。
否定は、格好がつく
「〜ではない」「足りていない」と書くと、文章はたしかに締まって見える。対比の形が効いて、なにか言い当てたような手応えが出る。でも、ないものをいくら並べても、読む人の手には、そこに何があるのかが渡らない。否定は、説明しているような顔をして、いちばん肝心なところを素通りしてしまう。書いた本人だけが、書けた気になっている。
あるほうから、書く
同じことを、あるものから書き直してみると、文章がまるごと変わる。これはここにある、だからこうする、と。あるものを起点にすると、なぜそうするのかという理由が、そのまま次の言葉になっていく。ないものを数えあげるより、あるものを一つ、具体的に挙げるほうが、ずっと手ざわりがあって、読んでいて先に進む感じがする。
いまの流暢な道具ほど、この否定の対比を、するすると書いてしまう。かたちは整っているのに、中身が薄い文章は、だいたいここから生まれる。だから、書き終えたら一度、ないほうから語っていないかを見返す。あるものを、あるまま書く。地味な作法だけれど、これがいちばん、伝わる。